母が死んで、1年目、私は母の遺した物を整理しようとしていました。
49日が済んだ後、母のベットや家具などを知り合いのおじさんに頼んで
大型ゴミ置き場に運んでもらっていました。
パジャマ、タオル、タオルケット、毛布、普段着の類は、近くの介護施設に
寄付しました。介護施設は喜んで引き取ってくれました。
でも、始末しきれないものは、多々ありあした。
詳しく言えば、母が遺した写真、母が遺した手紙(多分知り合いからもらったもの)それから母が若い時に着た振袖と丸帯。
それらを、近所の神社のお炊き上げで燃やそうと思いました。
ある大晦日、私は母の遺物を紙袋に入れて神社に向かって歩いていました。
田舎の道は真っ暗です。真っ暗な道は誰も歩いていません。私は切なくて切なくて泣きながら歩きました。
「2度とこんな思いはしないんだ!」
私はこうつぶやいていました。夜11時半、神社への道は暗く
お炊き上げの火も見えませんでした。狂いそうに寂しかったです。
いったん、家に帰り、夜中の12時になってから、神社へ歩いて行きました。今度は大勢の人が歩いていました。
私は安心して、みんなの後を付いて歩きました。お炊き上げの火も見えます。ほっとして、燃え盛る火の中へ、母の遺物を放り投げました。
それらはふぁあっと火が付き、あっという間に大きな炎になりました。
わたしはほっとして、神社の参道を歩き続けました。
今、この神社は大晦日のお炊き上げをしなくなりました。危険だからだそうです。・・・あの時、燃やしておいて良かったなあ、と心底思っています。
森田健さんの書いた 生まれ変わりの村、という本では、紙に絵を書く(または写真に撮る)を火で燃やすと、あの世に届く、という表示があります。
家の写真とか、お菓子の絵とか、そんなものを燃やすと、あの世で
亡くなった人の魂のところで、本物の家になり、本物のお菓子になって
渡っていくんだそうです。
母親のところに遺物が届いているといいな、と思います。