携帯電話で呼びだされて、母のいる病室に近づくと
病室の前で、看護婦さんが待っていました。
私は母の死を認めるのが怖くてしゃがみこんで泣きわめきました。
どうしても病室に入れないのです。
看護婦さんは困ってしまって、私の肩を抱くようにして立たせようとしました。
私は、頭では病室に入らないといけないのだ、と判っていました。
でも、身体が拒否しました。
「病室に入りたくない、母の死を認めたくない!」
看護婦さんは忍耐強く私を動かそうとします。
肉親の確認がないと、次の行動ができないからです。
多分5分位泣きわめいた後、私は看護婦さんに抱きかかえられるようにして
母の病室に入りました。
私は、母は苦しそうな顔をして死んでいる、と思いました。
しかし、意を決して病室に入ると、母は穏やかな顔をしていました。
私はほっとして泣き止みました。穏やかな、穏やかな、菩薩様のような顔で
母は死んでいたのです。
それから、母親の葬式を出しました。私は泣きまくりました。父の葬式では泣かなかったのに、母の葬式では涙がとめどなく溢れて来ました。
私が世界で一番愛した人は、死んだ夫でもなく、申し訳ないけれど父親でもなく、母親でした。
葬式のあと、親戚の人が言いました。
「yumeちゃんのお母さんは菩薩様が人間界に修行するために生まれてきたような人だったね」
そうなんです。私は生まれてからこのかた、母親より善良で、母親より優しくて、母親ほど賢い人を見たことがありません。
本当は私は母親と一緒に死にたかったのです。母親と手を繋いで、同時に生命を無くして、あの世に行きたかった。
でも、そんなことはありえる話ではありません。
愛する者を持つ、ということは幸せで、そして不幸です。
あんなにも愛して幸せだったのに、その人の死によって、心は地獄に落ちます。
愛する者がなければ、あんな悲しみを味合わなくて済むものを、と
私は何度も恨みました。
でも、それはきっと贅沢な恨みなのでしょう。